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ウクライナ 14年前と今

開催中の「ウクライナ 時の記録 写真展 ―かつて、ここに笑顔があった。」展が1月10日(土)付で読売新聞に掲載されました。全文をご紹介します。

『ウクライナの街並みなどを14年前と同じアングルで撮影して対比する写真展「ウクライナ 時の記録」が長崎市内で開かれている。かつて長崎原爆の被爆者がカメラを構えた場所で、日本に避難したウクライナ人女性が一時帰国してシャッターを切った。ロシアの侵略が始まって間もなく4年。2人は「美しい国が次々と破壊されている現実を知ってほしい」と訴える。
 ガラス張りでモダンな高層ホテルの写真の隣には、壁面がはがれ落ちた同じ建物の無残な姿が写し出されていた。会場のナガサキピースミュージアムには、ウクライナが侵略を受ける前後12組の比較写真などが並んでいる。
 今を撮影したのは、キーウ国立大で日本について学んだ、アナスタシア・ストラシコさん(27)。2022年2月、ロシアの侵略が始まり、家族とジョージアに避難した。激しい攻撃にさらされる母国。「これで全て終わった。と感じたという。
 そうした時、日本の各大学に留学支援制度があることを知った。被爆地・長崎で平和について学びたいとの思いもあり、同年9月に来日し、長崎大に留学。昨年9月、同大大学院を修了した。現在は神戸市で、ウクライナの伝統工芸品の輸入・販売を行う会社で働き、母国の職人たちを支援している。

 一方、過去の写真は被爆者の小川忠義さん(81)(長崎市)が撮った。12年、船で世界を巡って核兵器廃絶などを訴える事業に参加し、ウクライナも訪問した。黒海に面した南部の港湾都市・オデーサや首都キーウなどで地元の人たちと交流し、人々の生活や風景を撮影した。
 小川さんは毎年、長崎原爆がさく裂した時刻「8月9日午前11時2分」の写真を世界中から募る企画に取り組んでいる。母国で兵士となった親族2人を亡くしたアナスタシアさんは昨年、家族や友人に呼びかけて、戦時下の「8月9日」を送ってもらい、企画に参加。「(ロシアから)原爆の脅威を突きつけられている国として、長崎の悲しみに無関心でいられなかった」と理由を寄せていた。
 アナスタシアさんの気持ちに触れた小川さんは、「長崎の被爆者もウクライナの人々の悲しみに無関心でいられない」との思いが募った。昨年9月末に一時帰国するアナスタシアさんに、自身がカメラに収めたウクライナの街と同じ構図で対比させる写真の撮影を依頼し、今回の写真展の開催につながった。

 アナスタシアさんは帰国後、実家がある東部ドニプロを拠点に小川さんの足跡をたどった。オデーサはドローン(無人機)やミサイルで頻繁に攻撃を受け、港のシンボル的なビルは焼け焦げ、一帯は立ち入り禁止になっていた。
 人が多く集まる場所も標的となるため、映画の舞台になり、にぎわいを見せていた観光地「ポチョムキンの階段」もほとんど人影が消え、閑散としていた。キーウの大広場では、戦争で亡くなった犠牲者を悼む多くの小旗が揺れていた。
 オデーサまで列車で6時間、キーウへは夜行列車で9時間かかった。どこにいても、いつロシアのドローンが飛来するか分からないことが一番の恐怖だった。街中でカメラを構えると、「ロシアのスパイではないか」と警戒心を抱かせ、顔を隠す人もいたという。
 会場には比較写真のほか、避難シェルターが設置されたドニプロの街角やウクライナの「8月9日」を記録した昨年の作品など約60点が並ぶ。小川さんは「今の写真は14年前と比べ、街中に若者や子どもたちの笑顔を見ることができない」と指摘する。
 日本で母国の文化を伝えるイベントも開いているアナスタシアさんは、「戦争がひとたび起きると、街も人もこうなるのだと、特に若い世代に知ってほしい」と願う。写真展は25日まで。入館無料。   (坂口祐治)』

読売新聞(令和8年1月10日)

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